お客が増える! No.9 <ニッセイエコ>
他社にまねできない製品づくりで1人当たり経常利益は業界平均 2.7 倍。「会社は家族」の超優良製造業
―― 兄と2人ではじめた、ペンチの取っ手を塩ビで赤く附着させる仕事が21億円の企業に育ちました。社長は親、社員は子ども。愛情は深く、しかし自分の子どもだからこそ厳しく教育する「スパルタ的な大家族主義」に支えられ、原材料から差別化をはかる商品戦略はニッセイエコを利益率の高い会社に成長させました。
株式会社ニッセイエコ稲村道雄会長
1 ウチはスパルタ的な大家族主義
「社長ってのは親ですよ。社員は子ども。子どもに出来不出来はないんです。みんなかわいい。
ただし、愛情もあるけど立派に育ってほしいから厳しくもする。はっきり言ってスパルタ。スパルタ的な大家族主義でウチは成長してきたんです」
取材の冒頭、成長の要因を明快に言い切ってくれたのはニッセイエコの代表取締役会長、稲村道雄氏です。
1975年、稲村氏は兄と2人で有限会社稲村ディップを設立。塩化ビニールのディップ成形からスタートした同社は現在、光ファイバー用のチューブ、酸素吸入用の医療機器など各種プラスチック製品を製造しています。
塩化ビニール製品分野において環境に配慮した独自の開発を進めてきた結果、通信業界、医療業界、自動車業界を中心に数多くの企業で圧倒的シェアを占めています。
同社は「24時間いつでも1個でも注文OK」。大手ができない小回りで支持を高めてきましたが、業績向上の注目すべき要因は、他社がまねできない商品対策と稲村氏独自の考えにもとづく組織対策にあります。
材料開発、金型と生産設備の製作すべてを自社でおこなっていることによる差別化。
そして冒頭の“親子論”。他人には叱ることはできないが自分の子どもになら厳しくできるという、情緒的な家族主義を超越した思想が同社躍進の根底にあります。
同業者が苦戦するなか、直近の業績を見ると同社の支持率が増加していることは明らか。
2006年度の売上は約16億、経常利益は約1.9 億、07年度は売上約18.5億で経常利益は約2.6 億、08年度は売上21.8億に対し経常利益は約3億円。
経営は経営者しだいということをあらためて教えてくれる同社ですが、まず最初に稲村氏が唱える家族主義、親子論の前提となる同氏の生い立ちからお読みください。
2 稲村家は愛妻家の家系
稲村氏は山形県で生まれ、3歳のとき一家で神奈川県藤沢市に引っ越しました。父親が藤沢にある工場の門番として勤めることになったからです。貧しいながらも家族仲良く暮らしていましたが、小学2年のときに母親が病気になります。父親は3ヵ月半、看病でつきっきり。2歳上の兄と4歳の妹との子どもたち3人だけで3ヵ月半がまんしました。「稲村家は愛妻家の家系なんです(笑)。おやじは子どもたちのことよりおふくろのほうが大事だし心配だった。だからおふくろのそばで過ごして、家に戻らない。小4と小2と4歳の兄妹だけの生活はどん底でした。再び家族で暮らす日が待ち遠しかったものです」しかし、まもなく母親はかえらぬ人に。いなくなってあらためて思う母親の存在の大きさ。思い出さない日はない毎日でしたが、兄妹仲はよく父親も子どもたちを愛してくれました。
「父は伝記ものの本をよく読んでくれました。リンカーンの話は好きだったなあ。黒人差別とか人種差別など、そういうことはあってはいけないと強く思いました。友だちはできず、いじめられてばかりでしたが父親のありがたみ、家族が協力して生きることの大切さ、どんな人も差別してはいけないことなど、心が豊かに育ったと思います」
中学生になった稲村氏は牛乳配達のアルバイトをはじめます。牛乳配達は25歳で結婚するまで続けますが、妹のめんどうをみながら勉強もまじめにやりました。その努力が報われ、神奈川県茅ケ崎の進学校へ入学。大学にも進学するつもりでした。が、断念。働かなければならなくなったのです。
3 「その仕事を僕にやらせてくれませんか」
そのころ、父親は工場でプレス機械を操作するサラリーマンでしたが、稲村氏が高校3年生のとき、プレス機で指を2本切断してしまったのです。その傷が原因で父親は病気に。一気に収入が途絶え生活できなくなりました。
進学校は進路指導は手厚いものの、就職先の斡旋がありません。高校を卒業した稲村氏はヤマト運輸の前身、ヤマト運送でアルバイトをはじめました。
横浜の戸塚地区を担当しましたが、集配先に元気のいい会社があり、いつも気になっていたと言います。ペンチの柄の赤い部分をつくる会社でした。稲村青年には、活気ある職場と仕事が魅力的に見えました。
「その仕事を僕にやらせてくれませんか」
よほど目を輝かせていたのでしょう、思い切って頼んだところ、やる気があるなら教えると快諾。2週間習って、同じ仕事を自宅でやらせてもらうことになりました。稲村氏が20歳のときです。
親会社から仕事をもらう下請けですが、立派な独立です。親会社が「東京ディップ」、稲村氏は兄、稲村竹治氏を社長にして「稲村ディップ」と名づけました。パン焼き機のような熱処理を加える機械でペンチの取っ手部分に赤い塗料のようなものを焼き付ける作業です。自宅の一部を囲って作業場としました。「2坪のスペースだったから、つぼ八ならぬ“つぼ二”です(笑)」。
兄とのチームワークは最強。親会社の従業員の2倍のスピードで数をこなしました。
2人で年間600万円近い売上を上げ、創業2年後には70坪の土地を購入し、土地と建物あわせて2400万円の工場を新築。親会社の半分の規模にまで成長しました。
「兄が一緒にやってくれて助かりました。僕は吃音があって、電話に出られない。引っ込み思案でした。対外的な折衝をするうえでも兄貴に社長をやってもらうことで僕は作業に専念できましたから」
4 グループ内でスピード競争
稲村氏は「ばかせ」というあだ名で呼ばれるほどのアイデアマンでした。親会社の下請け的仕事をこなすなかで、「こうすればもっと売れる製品ができる」「このやり方のほうがスピードが上がり、不良品も生まれない」という考えが次々とあふれていました。
しかし親会社から仕事を分けてもらっている手前、おおっぴらに実行できません。そこで「国内だと支障があるが海外ならバッティングしない」と考え、1986年(昭和61)、タイにパートナー会社を見つけ「ニッセイトレーディング」を設立、稲村氏の兄、竹治氏が社長に就任しました。兄に代わって稲村氏が「稲村ディップ」の社長に就任します。
「そのとき立てた目標があります。これからは毎年1社ずつ会社をつくろうと決めたのです。兄とふたりではじめた会社も、しだいに人数が増えてきました。タイにも新しく設立した。人を雇うとはたいへんなことだと感じはじめたのです。雇われる立場の人は、あーしてほしい、こうしてほしいと言ってくる。こうなりゃ、みんな社長にさせるかと。社長になればサラリーマン根性がなくなり、仕事があることのありがたさや喜びを素直に感じられるんじゃないかと考えたんです」
以後、24年のあいだに国内9社、海外に14 社、計23社を立ち上げニッセイグループを形成。ほか、那須工場、東京営業所、名古屋営業所を設けました。
「私も社長、あなたも社長、対等だ。そう言って会社をつくり社長をつくってきました。グループですが、一般的に言う分社化とか子会社といった主従関係ではありません。親が子を産んだから親子関係ではありますが、子どもといっても大人。互いに競争するんです。グループ内でスピード競争をやってるわけです」
2年に一度はグループ全社が集まって国際会議を開きますが、「利益のいい会社ほど発表時間を長くもらえる」ルールを設けています。もっとも稼いだ会社は30分、最下位になると1分しか時間をもらえません。
グループ内の競争に勝てずに世界を相手とする競争に勝てない。そんな思いがあるのでしょう。しかし稲村氏は鬼になるわけでも悲壮感を漂わせるわけでもありません。明るく楽しくグループ内に競争を働きかけています。
5 「脱塩ビ宣言」から大きく変わる
1975年の設立以来、順調に成長し続けていた同社に転機が訪れたのは90年代後半。塩化ビニールがダイオキシンや環境ホルモン発生の一因として指摘されたのです。
「創業以来の壁にあたったというか、このままでは100パーセントだめになるという危機感を持ちました。社会問題にまでなりましたから。でも、すぐに考えなおしました。塩化ビニールが問題なら『脱塩化ビニール』を推し進めればいいんだと」
エコロジーという言葉が広まりはじめたころです。従来の塩ビ製品をつくり続けることは企業イメージの低下どころか受注激減を意味しました。稲村氏は全社をあげて脱塩ビ対策に乗り出します。おもな対策は次の4つ。
①環境対策上、支障のない材料に変更する。
②ディップ成形からシリコンゾルの成形に変更するなどつくり方そのものを変える。
③ISO9001に加え、ISO14001を取得する。④リサイクルや回収に取り組む。
製品やつくり方だけではなく社名まで変えました。エコロジーを推進する会社として社名も「ニッセイエコ」に変えました。1999年(平成11)のことです。とたんにいくつもの業界が同社に注目しはじめました。以降、電線業界をはじめ名だたる大手がニッセイエコに口座をつくり、99年では5億7000万円だった売上が10年間で21億8000 万円と約4倍に増えたのです。
6 社長は父親だ
他社にまねできない製品。それが同社躍進の原動力であることに間違いはありませんが、稲村氏は「真の要因はほかにある」と言います。
「大家族主義」こそ差別化した製品を生み出し、スピード対応を可能とする従業員を育てるバックボーンと言うのです。
「以前は社員が長続きしなかったんです。みんな2、3ヵ月で辞めていった。仕事が順調で忙しかったせいもあり、厳しいだけ厳しかった。愛情がなかったんです。でもある日、目覚めました。小さい頃のことを会社経営に活かしていないことに気づきました。親子とはなんだ、と考えました。単に厳しいのではなく愛情があるから子どもに厳しくする。人を採用しはじめてからの僕はそうじゃなかった。これからは大家族主義でいこうと。会社は家族だ。取締役は社員にとって親である。とくに社長はそうだ、父親だ。子どもは愛情をもって厳しく育てる。そう思った時点から会社が大きく変わりました」
父親というものは他人の子どもには叱らない。
注意する程度。しかし自分の子どもには思いっきり叱ります。稲村氏も同じ。常に愛情をもって叱り飛ばしています。だから稲村氏は『ウチはスパルタ的な大家族主義』と呼んでいます。
同社の社員に尋ねると、“父親としての稲村氏”にまつわるエピソードがこれでもかと思うほど教えてくれます。
たとえば、「お墓参りのために帰省する社員には旅費の半額を支給する」。
親を大事に思い、先祖を大切に思う稲村氏の家族主義、親孝行論からすれば当然のことでしょう。しかし「私だけでなく子ども2人の分まで旅費を出してくれた。感激した。本当の親のよう」という社員の声に代表されるように、感激の度合いが格段に違うようです。
アメリカに住む子どもに会いにいく社員には、その飛行機代を支給してあげたこともあります。
「社員は子ども。社内では厳しいことを要求するが、子どもに対してできるだけのことをしてあげたいと思うのも親の心。ありがたいと思ってくれれば、いつか親孝行してくれるでしょう(笑)。でも、決して将来の話じゃない。いま現在、毎日、必死に仕事をして親孝行してくれていますから」
7 マンション住民から苦情。そのとき社員は
大家族主義を唱えるニッセイエコではさまざまな取り組みがおこなわれています。
毎週月曜日は会社の付近を全社員で掃除し、月一回は範囲を広げて地域一帯を、あるいは藤沢の海岸を清掃します。「掃除というのは心を掃除すること」と考える稲村氏は、新入社員にトイレ掃除を命じています。期限は「次の新入社員が入るまで」。
家庭ではトイレ掃除などしたことがない社員がほとんどです。日々繰り返すうちに自分の心が洗われていくことを実感する社員が増えているといいます。
また従業員の8割以上が救命講習を修了し、会社の玄関口にはAED(自動体外式除細動器)を設置。地域住民に安全な環境を提供できる体制を整えています。
同社では早朝から材料が搬入されることが多いため、かつては同社の敷地に隣接するマンションから苦情が寄せられていました。荷物の積み降ろしに際してかけ声をかけるため、トラック以外の騒音も出していたのは事実…。
「朝っぱらからうるさい!」という住民の声はもっともなこと。謝罪はもちろん、荷下ろしの場所を変えたりやり方を変えたりといくつもの対策を試みました。
さらに、マンションの敷地に接した小道を整備しました。整備というと大げさなようですが、かなりおおがかりな出来事だったのです。
ニッセイエコの敷地にも接し、マンションの敷地にも接する小道は中学生の通り道でした。細い道ですが通学の近道として利用されていたのです。
それだけなら問題ありませんが中学生は騒がしく、タバコの吸い殻やゴミを散らかす始末。マンション住民が道をふさいで通行できなくしていたのです。そこを同社の社員が清掃し、障害物を取り除いてきれいな道に戻しました。休日を利用したそうです。
ただし、そこで終わったのであれば清掃活動の一部分にすぎません。むしろ、マンション住民から見れば“よけいなことをしてくれた”ことになります。
社員の活動は小道の清掃だけではありませんでした。通学時間になると「静かに歩くんだよ」「ここを通るからにはゴミを捨てないようにね」と中学生に指導を繰り返したのです。そのうえ、雑草が伸びてきたら草取りも。やはり休日に、です。
それ以来、ニッセイエコに対する苦情がなくなりました。それどころか「いつもありがとう」「ごくろうさん」とマンションのオーナーからも住民からも飲み物や食べ物の差し入れが継続的に寄せられるようになりました。このエピソードを紹介したのは、同社の取り組みを美談として伝えるためではありません。社員の自主性はどこから生まれたのかということを考えるきっかけになると思ったからです。会社の問題は家族の問題。家族の一員として見て見ぬ振りはできなかったのでしょう。大家族主義という考え方が浸透した現れだと思うのです。
8 「おまえ、家族じゃないか。辞めるなよ」
研修にいやいや参加していると思われる一人の社員がいました。研修は自分のため。たとえいやでも、何かを得ようと気持ちを切り替えてくれなければ何にもなりません。
「おまえみたいなやつは辞めちまえ!」
稲村氏が怒鳴ったところ、その社員は辞めると言い出しました。「辞めろと言われたから辞めます」という社員に稲村氏は手を差し伸べません。
しかし、ほかの社員がほうっておきませんでした。辞めるな、いや辞めるというやりとりが
2、3日続きました。
「朝、幹部会議を開いているとどうも社内が騒がしい。『ようすを見てきます』と幹部の一人が出ていったきり戻らない。『どうしたんだ?』ともう一人がようすを見に行く。戻らない。結局、残ったのは僕ひとり。しょうがないから僕も見に行ったら、辞める辞めないで騒いでいるんです」
何人もの社員が、辞めると言い出した社員を取り囲んで説得していたそうです。
「おまえ、家族じゃないか。辞めるなよ」そう言って泣き出す同僚。
「そうだよ、おまえは兄弟なんだよ」そう言って一緒に泣いている先輩社員。
どうりで会議に戻らないはず。出ていった幹部も一緒になって説得していたそうです。
稲村氏が厳しく接する社員にかぎって、親にも学校の先生にも叱られたことがない社員だといいます。稲村氏に叱られたのがよほどショックだったのでしょう。辞める理由が自分でもわからなくなり、稲村氏に辞めろと言われたことだけが辞める理由になっていたのです。
今回の取材で複数の方から聞いた話です。みなさん言います。
「父親に叱られたと同じ。上司と部下という関係じゃない。愛情を感じて、みんな大人になっていく」
戦略も戦術も申し分のないほど研究されているニッセイエコですが、本当の強みは、やはり社内の結束力にありそうです。
次からは商品対策と組織対策を中心に同社の利益性向上の仕組みを整理します。
9 自給自足がスピードを生む
ニッセイエコの主要事業は「熱可塑性プラスチック製品の製造および販売」ですが、稲村氏いわく「簡単に言うとチューブ屋」です。
コルゲートチューブ(波状のチューブ)やカニューラ(酸素吸入の際に使用する医療用チューブ)をはじめ、光ファイバー用のアクセサリー(コネクタやアダプタなどのキャップ類)を製造しています。
一見、決定的な優位性が感じられない製品ですが、同社が圧倒的シェアを占めるにはそれだけの理由があります。
①自社でオリジナル材料を作る環境上の問題から塩ビ製品の見直しが要求された90年代後半以降、材料そのものを自社で開発し独自にブレンド。ベトナム工場で量産体会社への供給もおこなっている。
②金型開発も自社でおこなう
中古旋盤を1台購入したところからスタートし、現在は光造型機も導入。射出成形、押出成形用に多種の金型制作が可能。試作品から製品まで自社で金型を設計できることから、サンプル依頼を受けて最短48時間で製品を作ることができる。
③機械設備も自社で開発する
自社の設備保守部門がメンテナンスを続けているうちに成形機の特徴を把握、社内にて設備を製作するノウハウを取得。機械はグループ会社に供給している。
原料と金型、設備という製造業にとって不可欠の3部門を本社内に集積する社内一貫体制が同社の商品対策上、本当の強みとなっているのです。
10 「仕入先ってのは親ですよ」
「向こう何年間も取引先は大きく変わりません。浮気はしない。ウチはチューブメーカーだから、ニッセイエコのチューブを評価してくださっている現在のお客さまを変えるつもりはない。ただし、製品は別ですよ。ひとつの製品が10年もそのままなんて考えられません。10年経ったらガラッと変わっているでしょう」同社の取引先は自動車業界、通信業界、医療業界と大きく3つになります。大手にできない多品種少量生産により、取引先に占める同社の占有率は高まるばかり。積極的に営業地域や客層を広げる必要はありません。
「お客さまの要望に合わせることも必要ですが、当社はどちらかというと逆。当社で開発した製品を評価してくださる企業と取引したい。強みを活かすには、お客に合わせるより当社に合わせてもらうほうがいい。当社に合わせてくれた以上、浮気はしないという考えです」大家族主義、親子論を説く稲村氏独特の考えは顧客維持対策にも見られます。
顧客第一、お客さまは神様と言われますが、稲村氏がいちばん大切に思うのは仕入先。やはり親子の関係にたとえて説明します。
「仕入先あっての当社であり、販売先のお客さまが生まれるんです。仕入先がなければ原材料を買うことも製品を作ることもできません。当社にとっては親も同然。親がなければ子は育たない」
その象徴は仕入先業者から荷物を運んできたドライバーへの対応に表れています。
早朝だからといって車を停めて待たせない。社員も手伝って荷下ろし。食事をとってもらってシャワーをあびて仮眠してもらう。すべて感謝の気持ちから生まれた対応です
(CD-ROM内の「ニッセイエコ.mpg」をごらんください)。
11 「朝飯食ってから仕事をしろ!」
ニッセイエコの始業時間は8時。ところがほとんどの社員が7時あたりから出社しはじめます。7時に来る社員は当初一人、ふたりでした。
しだいに人数が増え、時間も早まりました。早く出社するとは熱心だ、と思ったのは最初だけ。
「ウチは8時始業。早く来て仕事にとりかかったとしても時間外手当は出せない。いくら“自分の子ども”が早起きで勉強熱心、仕事熱心だとしてもね。それにいまの若い人は朝ごはんを食べないで会社に来るでしょ。そんな時間があるなら朝飯を食べてこいって思うんだよね」
と言いながら、そこは稲村氏。2007年から、朝ごはんを会社で出すことにしました。広い食堂をつくり、食べたい人は自由に食べることができます。社員だけではなく朝早く到着した仕入業者や配送業者にも無料開放。「朝飯食って、シャワーをあびて、仮眠して安全運転を!」という稲村氏の“親心”。
ちなみに食堂の一角には本格的な「バー」もあります。仕事が終わって飲みたい人は自由に飲める。
「これは正直言って採用対策でもあります。ここ、窓が多いでしょ。外から見えやすくしているんです。あの会社は若い人が多いな、朝ごはんを食べていたかと思えば夜はバーで飲んでいるぞ、よさそうな会社だなと人が集まってくれればという狙いがあるんですが、いまのところ『バーがあるから入社した』という社員は一人もいません(笑)」
12 稲村氏、全社員の前で謝罪
従業員教育は会社のトップが中心となっておこなう。それがニッセイエコの方針です。技術的なレベルアップを目的とした研修に加え、講師を招いたり外部機関での研修もありますが、会社としての方向性を伝えるために「社長塾」と「会長塾」を開催しています。
毎週水曜日の12時半から1時間、社員は浅野高志社長が講師を務める社長塾か、稲村道雄会長が講師の会長塾か、どちらかに参加します。
社是である「勢い」「挨拶」「魁(さきがけ)」「感謝」にもとづき、さまざまなテーマが話題にのぼるランチミーティングというおもむきです。
社員による委員会活動も盛んです。特長は社員に主導権、決定権があること。
「エコ理念」「安全」「5S」「改善」「省エネ」「企画」「イベント」の7委員会のどれかに参加し、これからの会社にとって必要なことを話し合い、行動に移しています。この委員会の決定事項に関しては会長、社長であっても従わざるを得ません。代表取締役会長である稲村氏が安全委員会から「免停」を下されたことが一例です。
2009年7月、茅ヶ崎海岸で社員と家族が集まっての地引き網イベントが開かれました。
現地で酒を飲み、稲村氏は自転車で帰宅。あらかじめ飲酒することを前提に自転車で参加したのです。
ところが4日後、安全委員会によって開かれた懲罰委員会において稲村氏に免停1ヵ月、罰金5万円が言い渡されました。法律により自転車でも飲酒運転が禁じられていることによる決定です。
稲村氏は朝礼の場で「二度としません」という旨の念書を読み上げ謝罪。以後、1ヵ月間の通勤および業務上の自動車運転が禁じられたというものです。
「ほかの会社では考えられないだろうし、お遊び的なものと受け止められるかもしれませんが、当社ではまかりとおる(笑)。会社って、つねに上から命令が下るばかりでしょ。指示命令系統がはっきりしていることは重要ですが、ともすれば上からの押しつけばかりになりかねない。
それじゃあ若い人がくさるだけ。社是や経営理念、戦略さえ明確であれば、あとは社員にまかせることも必要です。そして上の者が間違っていたら素直に謝ることも大切。たとえ親でも間違いを起こせば認め、謝らなければ。親が非を認めてこそ子どもも素直に育つというもの。それにしても、人に謝るってこんなにさわやかだったのか!と思いましたよ」
13 社歴順に長男次男、長女次女
自転車の飲酒運転により代表取締役会長が懲罰を受ける会社はめずらしいに違いありませんが、そもそもニッセイエコの組織は一般的な会社と異なります。
社長以下、取締役と部長、そして工場長という役職のみ、ほかに役職名はありません。したがって組織表もありません。全社員それぞれが担当する仕事を書いた分担表があるだけ。仕事の項目ごとに責任者とサブ責任者が存在しますが階層の上下を示すものではありません。
「むしろ大事にしているのは入社年数や年齢です。仕事以外の場では年齢順で先輩後輩関係で接するのは当然ですが、仕事上では入社順。大家族主義の当社では入社順に長男、次男、三男、長女、次女、三女と続くわけです。いくら若くても社歴が長ければ兄妹としては上です」
組織としての縦糸は長くせず、役職を少なくしたフラット型に。上下の区別をまったく設けない委員会制度を中心に横糸をはりめぐらす。
縦糸と横糸で編み込むことで強い組織をつくる。
それが稲村氏の考えです。
仕事の仕組みや要領がよくわかっている社歴の長い人が先輩であり兄や姉。兄や姉の言うことをきき、家族仲良く暮らす。この組織論も同社の業績を支えていると言ってよいでしょう。
しかし、仕事中の先輩後輩と就業時間以外の上下が異なると、敬語の使い方がむずかしいのでは…。
「よくわからない場合は、すべての人に丁寧語で話せばいいと言っています。だからウチは全体的にみんな言葉がていねい。気持ちいい。父親の僕はなにをどんなふうにしゃべったっていい。自由です(笑)」
14 世の中の逆をやるから伸びる
明るく大声、豪快に話す稲村氏ですが経営者としての姿勢はまじめそのもの。父親としての手本を示すうえでも、自分に厳しくありたいと努めています。
取引先を接待したり飲食したりするなどの付き合いは基本的にしません。公職、名誉職なども一切引き受けません。経営者の団体や交流会にも属さず。バブルのときも土地を買ったりせず、利益が大きく出ている現在も余剰資産のような買い物はしていません。
「世の中の逆をやる、と昔から決めているんです。公職なんかついたらたいへん。時の人になっちゃいけない。調子に乗ってはいけない。だまって儲けるのがいちばん(笑)」
勉強はもっぱら夜。経営の参考になりそうと思えば読み、聞く毎日と言います。勉強しすぎて経営ものを読みたくないときは歴史ものを読みます。そしてときおり、『会長さんの日記帳』というブログを執筆。
ブログでは中国の工場を訪問した際の現地のようすや教育の大切さ、社員に感謝していることなど毎月数本は書いています。
現在、社員は65人。兄とふたりではじめた会社はしばらく5億円台どまりでしたが、脱塩ビ宣言をした99年から飛躍的に業績を伸ばしてきました。
2000年は7億5300万円、05年は13億9800 万円、08年は21億8000万円と10年間で売上は約4倍に増大。経常利益は約3億円に達して東京商工リサーチによる経営指標では「工業用プラスチック製品製造業」の自己資本比率は 35.9%(黒字企業平均)ですが、ニッセイエコは43.1%と堅調な数字。1人当たり月経常利益は業界平均14万3000円に対して39万3100円
と2.7倍に達しています。
右肩上がりで売上を伸ばす同社ですが、稲村氏の関心は売上より利益性を示す各種経営指標。
損益分岐点をいかにして下げるかが重要ととらえています。同社は今後も大家族主義のもと、いたずらに支出を増やすことなく家族で貯蓄を増やしていくでしょう。日々の“親孝行”だけでこれだけ利益性を高めているのですから、社員がさらに成長したとき、同社の利益性は業界平均の5倍6倍になることは確実です。
お客が増える! No.9 <ニッセイエコ> 企画・制作●お客が増える★プロダクション取材協力●中川式賃金研究所 中川清徳編集協力●ランチェスター経営株式会社 |
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